奈良美智さん
インタビュー

写真展の会場の1つでもある庭ビルが発行している、
「庭しんぶん」2021年4月号にて、奈良さんへのインタビューを行いました。
紙面では収まりきらなかったインタビューの全文をこちらに掲載。

奈良さんが世界各地で撮影した、
自然の風景や人々の暮らしをとらえた写真。
奈良さんはどんな思いで写真を撮り、
なぜ北海道のお店で展覧会を開こうと思ったのでしょうか?

1. 震災を乗り越えて生まれた《Miss Moonlight 》

―台湾での隔離生活はいかがですか?

奈良もしかすると自分は引きこもりの気質があったのかもしれないと思うくらい、何のストレスもなくて(笑)。隔離の最後の日は寝坊して、「もう1日あったらな」と思ったくらい。

―台北の街の様子を教えて下さい

奈良みんながマスクをしていることを除けば、生活は通常に戻っている感じですね。去年の8月から1万人規模のコンサートも解禁されているそうです。台湾は初期対策がうまくいった国で、ロックダウンもせず、政府があまり公費を使わなくてもいい状況。うまく感染者を押さえ込んだ良い例を見た感じがします。

―日本とはかなり違う感じですね。

奈良全然違います(笑)。意識自体も違って、テレビで大臣が「みんなマスクしよう!」と呼びかけるコマーシャルも流れています。公共の場所に入るときには、体温を測って、実名を登録しないと入れない。そういう厳しさも時にあって、管理を徹底しています。

―台湾での個展が開催されるに至った経緯を教えていただけますか?

奈良台湾の蔡英文総統にTwitterで「日本でマスクが足りないときに大量のマスクの援助をありがとうございました」とリプライしたら、まさかと思ったけどお返事がきて、そこから「猫がかわいいですね」「名前はクッキーです」と話しが弾んで(笑)。僕が「いつかコロナが収まったら台湾で展覧会がしたいです」と書いたら、「ぜひ開催しましょう!」と。東日本大震災から10年の節目となる2021年に展覧会を開催できないかと打診されましたが、主要な作品はロサンゼルス・カウンティ美術館で開催中の回顧展に出品中でした。

―ピンチ……

奈良でも、去年森美術館で開催された『STARS展:現代美術のスターたち―日本から世界へ』という展覧会に出品して、どこにも行かずにたまたま自分のところに戻ってきた《Miss Moonlight》を台湾で展示できるのではないか!と気がついて、ナイス! って思ったんです。自分を代表するような絵を台湾で展示できるという思いは、自分をとてもリラックスさせてくれて、《Miss Moonlight》に対峙できるような絵を台湾での展示に組み入れたい!という意気込みが自然に生まれました。そうして描き上げた絵は、今の自分のベストというか、本当のアベレージ、生のままの自分だと思います。何度も訪れた台湾を意識して描いた絵に《Hazy Humid Day》と名付けました。

―東日本大震災から10年というのがポイントだったんですね。

奈良そうです。今回メインビジュアルになっている《Miss Moon Light》という作品は、震災を乗り越え、ある種の心の平静を取り戻したことで生まれた絵なんだと最近実感していて、東日本大震災から10年の節目に開催される台湾での展覧会にぴったりです。《Miss Moon Light》は、もともと神戸の震災のあとに、ソウル・フラワー・ユニオンが「満月の夕」という歌を歌っていたことが頭の中にあって、それが東日本大震災のあとで形として現れた作品です。感情を抑えた慈悲深い仏様のような絵になったんですけど、それを描き上げた時に「あぁ、こうつながっているんだな」ともわかったんです。描いている時にはわからなかった。阪神淡路大震災があって、東日本大震災があって、それらを自分も乗り越えたことで、この絵ができたんだなと。

2. 自分が写っていない自撮り

―続いて『Though no one may notice, the world knows all that you have seen.』についてお伺いします。タイトル、長いですね……

奈良なんてタイトルつけたっけ(笑)? 何かの歌詞のうろ覚えを書き出したんです。調べたらちょっと間違えていたんだけど(笑)。僕にとって日常の景色、近所の雑草とか、飛生のこどもたちとか、そういうのを全部含めてどんな写真のシリーズと言ったらよいのかと考えた時に、やっぱり「自分の視点」だなと。例えば、パリのエッフェル塔ではなくて、エッフェル塔の下で遊ぶこどもたち。例えば、ニューヨークの自由の女神ではなくて、自由の女神の足下といった、どこにでもあるようなもの、自分にとって当たり前のことを、どこにいても見つけられる視点。だから、アフガニスタンで撮ったものでも、僕の日常的な視点が写っている。それらをまとめて、なにかいいタイトルってないかな? と思った時に、自分が見てきたものを理解してほしいと思ったので、ある意味自分に対して言っている言葉というか。神様がいるならこう言って欲しいな、という言葉です。

―展示される写真は世界各地で撮影されていますね。

奈良場所は関係ないですね。パキスタンに行ってたんぽぽばっかり撮ったり(笑)。言わないとそれがどこだかわからない写真もいっぱいあります。

―写真を撮るのと、絵を描く感覚は違いますか?

奈良全く違います。写真は中学生の頃から、ただ気になるものを撮っていたんです。それがある時、自分の感性を維持するために撮っていたことに気づくんです。ずっと撮りためていた写真を見て、自分の美意識や感性を、写真を撮ること、あるいは写真を見ることで確認しているような。まだ自分の感性は大丈夫なんだと確認するというか。そういう位置づけに写真があるんだと気がついて、じゃあその感性を並べてみようと写真展を開催するようになったのが、絵に比べると本当に最近ですね。この10年とか。

―人に見せようと思って撮ったものではないんですね?

奈良写真を撮ろうという努力はしていないんです。自分がいいと思って撮っている「自分が写っていない自撮り」みたいな感じ。あーでもない、こーでもないって工夫して撮るんです。自分の姿が写っていなくても、自撮りだから自分が写っている。自分の視点が写っている。あぁ、自分はここを見てたんだとか、道路の隅の花を見てたんだとか、洗濯物の端っこ見てたんだとか、あくびしてる猫見てたんだとか(笑)。今はスマホがあるからすぐ撮れちゃうけど、以前はずっとカメラを持ち歩いていたわけではないので、わりと目で瞬間をとらえるという感じで色々なものを見ていたと思います。目でシャッターを切るような。それが直接絵に繋がるとは思っていなかったけど、精神的にすごく繋がっていると気がつくようになってきました。

―調子の良し悪しが、写真に出ますか?

奈良あまりないですね。わりと平均的に自分の視点でものを捉えることができるようになってきました。例えばこの2週間ホテルで隔離生活を送っていると、部屋の中しか撮るものがないんですけど、ファインダーを覗いてカメラの向きを変えるかえるだけで色んなアングルが出てくる。そうすると外でいつも撮っている時と同じ感覚になって、コンセントを撮ったりとか。それとはまた別に、毎日出されるご飯とか撮ってみたり(笑)。お弁当の中で色がどんな風に組み合わされているのかとか、そういうのを見るのも好きだったし。

―写真に写っているものは、向こうからやってきたという感じですか? それとも、自分で見つけたという感じですか?

奈良両方ありますね。サハリンに行って炭鉱跡の廃墟を撮った時は「自分はここに来るために回り道をしてきたんだな」と思いました。物理的な回り道だけではなく、絵を描き続けてきたことはもちろん、ドイツで暮らしたことでさえ、今この風景を見るためにしなきゃいけなかったことたっだんだと。それがあったから今ここにいるんだなと。旅をするとだいたいそういう気持ちになります。
日常の小さな物を発見して写真に撮ろうとする時も、その感性がどこから来たのかと考えると、ショートカットをしないで回り道をしてきたことで培われたものなんじゃないかなと。だから、こんなちっちゃなものを見つけられるんだなとか。優等生で学校を出ていたら気づかないもの。失敗したり、悲しいことがあったり、人生で損したなと思ったことも、小さなものを発見できる力に変わっていると思うんです。写真を通して、それをまた自分で確かめられてて。そんな複雑な思いが題名にも反映されていますね。

―回り道している最中は、目の前にあるものがどんな意味を持つかわからなかったりしますよね。

奈良そうですね。例えば、飛生に通うようになって、最初は3年くらい通ってそこで得たものをみんなになんとなく感じ取ってもらって、自分は去っていいかなと思っていたんだけど、いたら楽しくなっちゃったり、もっといて欲しいって言われて、僕もいたいよ!ってなったり(笑)。最初は3年という目的があったのに、いつの間にかその目的が消えちゃって。でも回り道をしてきたことによって、目的の向こうにまた目的を見つけられる。むしろ目的が設定されていないことによって、本当の目的ができるというか。なんか、そうゆう人生っていいなって思います。

―奈良さんはあまり遠い目的を定めずに生きていらっしゃるんですか?

奈良いつも、いいことは予期せぬところからやってくるんです。予期していたらダメなんです。目的にしているとやってこないんだなと思っているので、あえて欲を持たないように気をつけています。その方がプレッシャーも掛からなくて、気が楽ですし、展覧会とかにしても、やれることしか相手も望んでこないから。やれないことを断ると、こんなに楽になるということに、震災以降気が付くようになった。歳をとってきて、楽に生きることがこんなに楽しいのかって気付きましたね。

 

―その感覚はいくつくらいの時にやってきたんですか?

奈良50歳くらいですね。今まで僕の友達になる人は感覚の合う人ばかりで。ところが社会には、仕事だけの付き合いがある。会社で働いたことがなかったので、それがわからなかった。ちょっとでも親切にされると、その人は友達だと思い込む癖ができちゃってたんです。それがつい5年くらい前までそうだった。故郷と姉妹都市の、ある町のホールで講演会を頼まれて、その時役場の職員が空港までお迎えにきてくれたり色々話したりして楽しくて「講演ぜひ来てくださいね」と言ったら「いやその日私は……」と言われて、そうかこの人は仕事で迎えに来てくれていただけなんだと。優しくされると友達になれるんだと思ってたけど、人間ってそうゆうもんじゃないんだと気づくのがかなり遅かったです。

―そういう意味ではこどもと同じように、奈良さんは素直に人と接してきたんですね。

奈良自分では気づいていない中で、騙されたり利用されたりはあったと思うけど……。そうですね、素直に接してきました。

3. 《山子》がポストカードになって助けてくれた

―展覧会を開催する資金を集めるためにポストカードのセットが制作されましたね。

奈良本当にいいコンセプトで。ポストカードセットができてよかった。日頃の行いが良いかったからかな(笑)。運の悪いことがおこると、何か悪いことしたのかな、と思っちゃう。各会場に1枚ずつ山子の写真も展示する予定です。山子展ではないので、山子はおまけ。山子がポストカードになって今回の展覧会を実現させるのを助けてくれたので、展示することにしました。予想もしないところから助けられるんだと思いましたね。

―いいことと悪いこと、どちらが多いですか?

奈良いいことの方が多いですね。じゃんけん大会で高価な果物もらったり(笑)、たまたま乗ったAIRDOの飛行機がその日引退する機体で記念品もらったり、結構そういうのが多いです。そういうことは狙っちゃいけないんです。台南を歩いていたら、ずっと行きたいと思っていたカフェの前を偶然通りかかったり。よくあるんですよね。

―山子が写っている写真は、作品として狙って撮っているんですか?

奈良山子は、白老・飛生で夏に飛生芸術祭のために滞在制作をしている時に生まれました。大小2つあるんですが、白老を発つ時に車に積もうと思ったら、小さい山子しか入らなかった。芸術祭の後は1週間くらい北海道を旅行しようと思っていたので、自動的に車に乗った山子と旅することになったんだけど、まず阿寒にいきました。何度か泊まって仲良くなっていた「コケコッコー」というペンションに行って「車の中に作品があるけど見る?」という話になって、リビングに置いて写真を撮ってみたのが始まり。次に別海に行って、そこでも撮ってみてから、行く先々で撮るようになったんです。

―決して写真を取る旅に出たわけではないんですね。

奈良そうなんです(笑)。そのうちバス停で車を停めて撮ったりするようになって。でもそれが作品になったのは、それから2年後くらい。普段ならお蔵入りする、自分の中の写真でしかなかったんだけど。

―ポストカードセットは、もっと小さい山子として各地を旅していますね。

奈良素晴らしいです! Twitterで「雪の中の山子がみたい」といったら、無理して雪の中でとってくれたりしてありがたいです。家の中だけでなく、旅して外で撮ってほしいですね。ビルの谷間でもいいし、アフリカとかもっと遠くまで行ってもいいし。

4. 2〜3歳年上の感覚で話しちゃう癖がある

―奈良さんにとってこどもって?

奈良こどもってすごく正直です。だから僕はこどもの視点をすごく大切にしています。大人は立場を気にしてしまいますよね。美術を学んでいる学生は、先輩の僕には本当のことを言いづらい。でもこどもは僕の絵に対して良い悪いを言うし、一緒に絵を描いていたら、平気で上から重ねて描いてきたりする。飛生に通うようになってこどもとたくさん接するようになったんですが、こどもたちが僕のやることに興味を持ってくれて、一緒に絵を描いたり、遊ぼう!って誘ってくれたり。きっと本当にそう思っているから言ってくれているんだと思う。そう言ってもらえるうちは自分はいい人間なんだなって確かめている感じ。大人のいうことは疑ってしまうけど、こどもが言うことは信用できる。ウソついててもすぐわかるし(笑)。

―いくつくらいまでがこどもだと思いますか?

奈良だいたい10歳くらいまでかな。5年生くらいになると僕が雑誌やテレビに出ているのを見たりして、急に大人的な対応になるんです(笑)。「このテレビ出てたおじさんと友達だぞ」みたいなこと言ったりとか、他の子がいる前で急に手を繋いできて仲の良さをアピールしてきたりとか(笑)。そうなると「お願い、戻って~」って思いますね。

―飛生では有名な人ではなく、ひとりの人としているんですね。

奈良そう、変なおじさんが来た、みたいな(笑)。酒飲んで昼過ぎに起きてくる。なのにいつのまにか絵ができているという不思議なおじさんですね。飛生の親たちも、アーティストというより夏になるとやってくる人、何もしないでそこにいる人という感じで接してくれる。自分もそうでありたくて「ただそこにいる人」になりたい。

―奈良さんはどこかで大人になったんですか?

奈良大人になったかと言われるとまだかな……笑。こどもと話している時はその子より2〜3歳くらい年上の感覚で自分は話しているみたい。例えばスポーツ選手と話していたら、同じ部活をしている感覚で話すとか。出会う人に、自分がこれまで生きてきた中の経験値で、同化しちゃう癖があると思います。癖というか、才能なのかもしれない。そうなっちゃうんです。だから、こどもに対して大人として接することができなくて。美術やってる若い人にも、60歳の自分が話しているというよりも、感覚としてはやっぱり大学の2〜3歳くらい先輩として接しているような感じ。

―同い年ではなく「2〜3歳年上」の感覚なんですね。

奈良そう、同い年ではないんです。あと、自分より年上の人は経験がないから仲良くなりにくい。自分の年齢を実感できないことがよくあります。庭しんぶんのデザイナーで昔、米騒動というバンドをやっていた石田さんに会った時なんか、バンドのファンみたいな感じで「わぁ!会えた!」と思ったし、怒髪天のリーダーに会った時もそうだった。年長者として「よく聞いてるよ〜」って感ではなく、ファンとして「会えた!」と。 

5. 一生の思い出をみんなと一緒につくりたい

―北海道で写真展を開催することになった経緯を教えてください。

奈良思い出せないくらい自然に生まれました。4〜5年前にカスタネットという雑貨屋さんの那須純子さんに初めてお会いした時に「何かやりたい!!」という熱気を感じました。北海道に通うようになっていたので、僕にも何かしたい気持ちが芽生え始めたんです。北海道でいろんな人と出会って、大々的にではなく、小さなコミュニティの力で何かできないかと思って写真展を思いつきました。写真展なら、絵や立体作品に比べて設営や保険などの経費が抑えられるから現実的かなと。

―小さい会場、小さいコミュニティーが良いと思ったのはなぜ?

奈良北海道に通って自然な流れでいろんな人と仲良くなりました。すぐに友達になれるわけはなくて、2〜3年かけてだんだんと信頼関係ができていきますよね。もし大きな会場で展覧会を開催するとなると、宣伝しなくちゃいけなくなる。それは、自分が北海道に通って友達ができたから実現した展覧会とは言えないんじゃないかと。知り合った人たちのお店の常連さんが展覧会を見に来てくれるくらいの感じがいいなと。講演会もやっぱり友達の友達とか、好きな人だけが集まるのが理想だなと。今まで大きな展覧会をする度に抱いていた違和感を払拭したいのかもしれない。本来やりかったのは、大きな会場で開催するドーンとした展覧会ではなく、小さなコミュニティの中で盛り上がるような、自分たちのためのお祭りやイベント。そこに回帰しているような感覚です。

―でも、この先どんどん小さくなるわけでもないですよね?

奈良それがね、どんどん小さくなるんですよ(笑)。コロナで中断していますが、20〜30人が集まる会場を、自分の車で回ってスライドトークをするというイベントを続けていきたいと思っています。大きな会場で100人集めるよりも、25人を4会場に分けてやりたい。大きなものから逃れる感じ。美術館での個展のような大きなチャンスはほかでもあるから、それとは全く違う、社会のためではなく自分が自分の好きなことをするため、あるいは、知り合った地域の人とどう深く関わっていけるか。一生の思い出になるようなことをみんなと一緒につくりたいんです。そういうことの方が重要になってきています。だから、小さなプロジェクトはどんどんやっていくと思います。でも……たぶん、東北より南下することはないと思うけど。

―えっ、どうしてですか?

奈良自分が育ったのは寒くて雪が降る地方です。やはりそれにすごく影響されていて、例えば関西にいくとアウェーだと感じます。自分がお客さんになってしまったり、先生になってしまったりと、お互いにうまく付き合っていけない感じを受けるんです。風土は自分の心の中にあるもので、僕の風土は「北」なんじゃないかなと思っています。
あと「北」というキーワードとは別に「辺境」という場所も自分を形づくっているという意識があります。自分は辺境に生まれたんだな、と思っているんです。いま台湾にいますが、大国である中国から見たら台湾は辺境だと思うんです。台湾は日本の植民地だった時代があり、北海道やサハリンの開拓のしかたと似ていて、国立台湾大学には北海道大学と似た古い建物があったり、どちらも設立当初に力を入れていたのが農学部だったという共通点があったり。自分は辺境から中央を見ていたいんです。中央は見るだけでいいなと思います。

―北海道と接点を持ったきっかけはなんだったんですか?

奈良北海道は、故郷・青森に一番近いところだし、親戚もいて昔から親しみを持ってはいたんです。青森から北海道に開拓に行った人も多かったから、苗字の分布を見ても共通点が多い。2009年に父親が亡くなって母親がひとりになり、実家に帰って母と話す機会が増えました。そこで母方の祖父が農閑期には樺太で炭坑夫として働いたり、千島列島で漁師をしていたことを知って、実際にその景色を見に行こうと思って。その途中に北海道に寄ったのが始まりです。

―通り道(笑)

奈良北海道にはアイヌ語の地名がたくさんあるじゃないですか。それって東北にも分布しているんですけど、アイヌ語の地名の付け方って地形なんですよね。北海道には東北と同じ地名がいっぱいあって、そこに行くと同じ風景があることを発見して、面白い! と思いました。例えば、青森の奥戸(おこっぺ)と北海道の興部(おこっぺ)とか、尻労(しっかり)と静狩(しずかり)とか。2004年頃から同じ地名を訪ねるようになるんだけど、地名だけではなく風土も似ていると感じたり、地名をきっかけにアイヌ語に興味を持ってアイヌのことを学ぶようになったり。知らないことがたくさんあって、のめり込んでいったんです。

―奈良さんにとって、北海道に通うのは自然なことなんですね。

奈良通いたいけど、悪いなーと思ってて。そういうの何ていうんだっけ……あ、罪悪感(笑)。呼んでもらえると堂々と行けるから、呼ばれる理由を探しているんです。

―今回の写真展は全部見るのは大変そうですね。

奈良いくつかの会場を観たらきっと世界観はわかってもらえると思います。どの会場にどんな写真が展示されているかはSNSでわかるようになるはず。無理して全会場を見なくてもいいけど、歴史的建造物を利用したお店の小樽の会場は特別です。他の会場はお店の雰囲気を見ながら構成を考えたんですけど、小樽では新たに壁を立てて、3年前にニューヨークで開催した個展と同じ構成で展示します。構成も含めてその壁がひとつの作品という感じ。

―全店舗をまわって構成したんですね。

奈良そうですね。自分で行って、お店の人の好みを聞いたり、店内の空間を見て、これが合うんじゃないかと考えて決めました。実際に会場を回ってみて、本当にいいお店ばっかり選ばれていると思いました。成功するといいなぁ。

―13箇所もあると視察が大変だったのでは?

奈良そういうのは苦じゃないんです。むしろ楽しいです。視察を理由にそこへ行けるじゃないですか。理由があると旅が正当化できるというか……そうじゃないと遊びに行ってる感じになって世の中に申し訳ないから。展覧会としては、カフェなら注文しなくちゃいけないとか、少しハードルが上がるかもしれないけど、それもまたいいんじゃないかと思うし。

―写真展を見に来るみなさんへメッセージをお願いします。

奈良どんな人が撮ったのかなと僕の人間像を想像してもらえたらいいなと思います。ここまでたくさんの店舗が協力して、ちっちゃな力が大きな力になったというのは初めてです。ちょうどよい規模だと思います。会場の13店舗は職種や広さもまちまちなんだけど、そこにどんな写真があって、どんな風に共存していくのか。ひとつの会場だけじゃなくて、店舗を回って自分の頭の中で再構成してみたりとか、色んな楽しみ方をしてくれたらいいなと思います。もし良かったら、遠くからも来てもらえれば。展覧会が失敗しても、僕は山子のポストカードセットができただけでよかった(笑)